ゴッホの『星月夜』 3
89年の秋になると、ゴッホの手紙には、「北方」への願望がくりかえし語られるようになっています。
9月10日付けの手紙で、彼は「ちがった光」や「一層明るい空の下で自然をながめる」ことや「もっと強烈な太陽」など、彼を南仏へ引き寄せたさまざまな理由をあげています。
こうして、おのれの心に南仏への愛着が消しようもなく染み付いたことを認めているのです。
しかし同時に「友人たちに会いたい、北仏の田舎をもう一度みたいという欲求が矢も楯もたまらず起こってくる」と言っています。
「ここにいると発作が馬鹿馬鹿しい宗教的な趣きを帯びがちなので、それだけでも北仏へ帰る必要があるとつい思い込んでしまう」
・・・と言います。
90年になっても、「北仏へ帰れば、なおさら気が晴れようと希望さえ持っている」とか、「北仏へゆけば、ぼくの病気は・・・すぐとはゆくまいが、早く治るだろう」とかいった言葉がみられるのです。
もちろん、ここにいう「北仏」の背後には、故郷ブラバンドの自然が広がっているのでしょう。
彼は4月29日付けの手紙で、
「病気のときぼくは記憶で小品を数点、北欧の思い出を描いた。
いま日の当たった牧草地の一角を描き終えたところだ。」
・・・と語っています。
同じころ母と妹にあてた手紙でも、
「病気が一番ひどかった間も描くことだけは描いていました。
すなわちブラバンドの思い出の、苔むした藁葺家の屋根やぶなの生垣で、秋の夕、オレンジ色の空には朽葉色の雲のなかに赤い太陽が沈んでゆきます。
それからまた雪のなかで葉を摘んでいる女たちがみえる蕪畑も描きました。」
・・・と語っています。
これらは、まさしく深淵のうえで身を支えるために描かれたのです。